
鹿鳴館(横浜開港資料館所蔵)
1879(明治12)年に外務卿に就任した井上馨は、海外の賓客をもてなす迎賓館として「鹿鳴館」を建設(1883年)。井上の推進する欧化政策*1に後押しされ、「鹿鳴館」では、迎賓館としてだけではなく、毎晩のように舞踏会が開催され、華やかな社交場として一世を風靡しました。
当時、光保は、鹿鳴館においてもその技術を遺憾なく発揮し、洋菓子一切の製造を担当していました。*2
光保が得意としたアイスクリームやガトウも、鹿鳴館の宴に出されており、観菊御宴(1885年)に参加したフランス人文豪ピエール・ロティは、その宴の給仕に対し「大勢鳩の様に、マメマメしく愛想良く…(中略)…葡萄酒や盛り上げたアイスクリームや、ジェリーや、パン、ガトウの世話を、いろいろとしてくれる。」と語り、光保の洋菓子で招待客をもてなしていたことが伺えます。
*1欧化政策:西洋の文化・制度を積極的にとりいれ、日本の近代化を西洋に誇示する政策
*2参照:日本洋菓子史P469/470


