村上光保
明治維新を経て発足した新政府の最大の課題は、諸外国の実質的な植民地化を防ぎ、対等な立場で交渉をすすめるための外交政策の推進でした。
この推進のためには、海外からの賓客や外交官に対する洋式接待は、欠くべからざる要素でした。そのため、宮内省(現、宮内庁)は、当時宮内省大膳職(宮中のお食事係)であった村上光保(1837〜1903)を抜擢し横浜外人居留地に派遣、フランス人サミュエル・ペール氏の元で洋菓子製造の修行にあたらせました。

光保が修行していた頃の横浜の風景(横浜開港資料館所蔵)
そして、1874(明治7)年、妻茂登(もと)の名前で麹町山元町(現在の東京都千代田区麹町)に村上開新堂を創業。宮内省の他、各国大使、華族、財閥などの方たちに洋菓子の製造販売を始めました。


